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6月22日は被害者の名誉回復および追悼の日…ハンセン病元患者の証言【岡山・瀬戸内市】

2023.06.23

6月22日は被害者の名誉回復および追悼の日…ハンセン病元患者の証言【岡山・瀬戸内市】

6月22日は、ハンセン病の元患者へ補償金を支払う法律が施行された日にちなんで、被害者の名誉回復および追悼の日に制定されています。法律の施行から14年、未だになくならない差別や偏見と闘うハンセン病療養所の入所者の貴重な証言をお伝えします。

(長島愛生園入所者・田村保男さん92歳)
「病気の名前が違うだけで、あれだけ偏見がある」
(長島愛生園入所者・石田雅男さん86歳)
「今にしてみたら一番大きな罪を犯していると思う、皆子供を産まないようにしてしまった」

ハンセン病患者を隔離し長く苦しめてきた法律、「らい予防法」は、1931年に制定されました。ハンセン病は、らい菌によっておこる慢性の感染症です。アメリカで開発された薬「プロミン」の普及などで、完治する病気となりました。

1960年代には、WHOの勧告により世界的に外来治療への転換が進みますが、日本では、瀬戸内市のハンセン病療養所長島愛生園などで元患者たちの隔離が続けられました。

(田村保男さん92歳)
「つらい思いばっかり。人から嫌われるというのはかなり心の負担になったね」

長島愛生園に入所して75年、92歳になった田村保男さんは山口の実家で行った父親の葬式のことが忘れられません。父親もハンセン病患者だったため、誰も葬式を手伝ってくれなかったそうです。

(田村保男さん92歳)
「兄弟で担いで自分で焼いたのよ、寂しかったね」

子供の頃に、姉や妹と入所したという田村さんには、さらにつらいことが待ち受けていました。

(田村保男さん92歳)
「妹は、亡くなったからね自分で亡くなった。私が見つけた。可哀そうだった。この病気伝染しないと、深い理解をもってくれたらいいんだけど」

田村さんには、夢がありました。

(田村保男さん92歳)
「鉄道員になりたかった、子供の時、SLよ、私の家山の中だから、日本海に山陰線がある、汽車が通る度に汽笛が聞こえる。(Qどんな音?)哀愁帯びた心揺さぶるような。(今でもなりたい?)なりたいね」

元患者たちを苦しめた「らい予防法」は、ようやく1996年に撤廃されました。2年後の1998年には、「らい予防法」の違憲性を訴え元患者たちが国を相手取り裁判を起こします。判決は2001年。「遅くとも1960年(昭和35年)以降は隔離の必要性は失われていた」として、法律の違憲性が認められ、原告が勝訴しました。

国は控訴することなくこの判決が確定したのです。国は謝罪し名誉回復を進めるとしましたが、元患者や家族に向けられる差別や偏見は、社会に根強く残っているのが現状です。

長島愛生園の入所者、石田雅男さんです。石田さんは、入所者の結婚の条件とされた断種・堕胎について、取り返しのつかないことだと強く非難します。

(石田雅男さん86歳)
「石田さんは結婚していると言われたが子供さんはどうですかと。作れなかったのが今一番つらい。断種手術とか優生保護法のもと子供を産むことができないんだとか、今なんとも悔しいことだと答えた。(Q、お子さんほしかったですか?)欲しいですね」

語り部として啓発活動を続ける石田さん。感染者や医療従事者への誹謗中傷が問題となったコロナ禍に、ハンセン病の歴史が生かされていないと嘆いていました。

(石田雅男さん86歳)
「自分たちが泣き叫ぶように言いたいのは、自分たちが味わったことはもう堪忍してくれ繰り返したくないんだ、それを今度のコロナのことで繰り返しているように自分たちには思えた」

それでも石田さんは、語り部の活動を止めない覚悟を決めています。

(石田雅男さん86歳)
「手の指は曲がっているとか、足首がおかしい、歩き方がおかしい、そういうことを見られたくない、知られたくない、そうした思いでひたすら隠そうとする、隠そうとすればするほど社会の理解は遠のいてしまう、本当は一番つらいところの障害の箇所を、外の人たちに十分見てもらう見てもらった上で理解してもらう。あとは社会の人たちにもうんと変わってほしい」

…ハンセン病は、遺伝しません
…入所者は完治した人ばかり、現代の日本で発病することほぼありません
…差別されるいわれはありません