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95歳の劇団看板俳優「おかじい」原爆投下直後の広島の記憶を語る【岡山・岡山市】

2021.08.05

95歳の劇団看板俳優「おかじい」原爆投下直後の広島の記憶を語る【岡山・岡山市】

広島に原爆が投下されて8月6日で76年を迎えます。
原爆投下直後の広島の惨状を見た男性が岡山市にいます。
95歳になっても薄れることのない記憶と平和への思いを聞きました。

(岡田忠雄さん 95歳)
「忘れませんよ」
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(演技の様子)
「あーれー驚いた!」

岡山市に住む岡田忠雄さん95歳です。
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老いや死・認知症をテーマに演劇をする「劇団OiBokkeShi」の看板俳優で、「おかじい」と呼ばれています。
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【1945年8月6日午前8時15分】
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おかじい5.png76年前、戦地で鉄道の建設などを行う日本軍の「鉄道連隊」に所属していた岡田さんは、列車で千葉から沖縄に向かう途中、原爆投下直後の広島の惨状を目の当たりにしました。
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(岡田忠雄さん 95歳)
「広島市内に入ったら死体の山なのよ、想像できます?できないでしょ」
おかじい7.png「男やら女やら分からない全部焼けているから」「消防団がどんどん(死体を)放り込んでいた、いちい何十万人の死体を一人ずつ葬送できないでしょう」
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爆心地周辺の温度は4000度とも言われ、その様子は当時、20歳だった岡田さんの脳裏に焼き付いています。
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(岡田忠雄さん 95歳)
「路面電車の中も焼けている。木が焼けとると思ったら、人間が焼けている。真っ黒になって。」
おかじい10.png「4000度の温度はそういうもの」「(川に)浮いている。柱が焼けて黒焦げになった材木のように川に捨てていた。人間ですよ」

広島市内を歩いて移動し、再び列車に乗り込んだ岡田さんは、沖縄にたどり着くことなく九州で終戦を迎えました。
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(岡田忠雄さん 95歳)
「軍歴を解散する時(軍から離れる時)それが一番うれしかった人間は自由になれる。」「戦争に行っているわしがお芝居をするなんて一体何をふざけているんだと言いたかったが、自由になって一番になりたかったのは役者ですね」
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役者を目指した岡田さんは、原爆を描いた今村昌平監督の映画「黒い雨」に、エキストラ出演した経験もあります。

戦禍を生き延びた岡田さんの命は、95歳になった今も舞台の上で輝いています。

【おかじいから戦争を知らない子供たちへ…】
おかじい13.png(岡田忠雄さん 95歳)
「好きなことをさせるのが 一番その人間、その子供の最高の幸せ」
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