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2023.06.02

「ハンセン病患者が生きた証を感じてもらいたい」遺族らが長島愛生園でシンポジウム開催へ【岡山】

瀬戸内市の国立ハンセン病療養所で、6月3日、入所者や元患者の遺族などが参加するシンポジウムが開かれます。目指すのは社会の偏見差別の解消。療養所で公開されている「解剖録」を通じて考えます。

(木村真三さん)
「仙太郎が入って来て住んでいた、暮らしていた情景が僕の頭の中にイメージでき、聞きに来た人たちにもそのイメージが湧いてくれたらいい」

シンポジウムまで10日となった5月24日、瀬戸内市の国立ハンセン病療養所長島愛生園を訪れたのは、入所者の遺族で医学者の木村真三さん(55)です。愛生園では現在、木村さんの大伯父、仙太郎さんが亡くなった後に行われた遺体の解剖の記録や、写真などが展示されています。

さかのぼること8カ月前。木村さんは、ハンセン病患者だった仙太郎さんの足跡をたどって愛生園を訪れ、園に残る解剖録の開示を求めました。

(山本典良園長と木村真三さんとのやりとり)
「これが木村仙太郎さんの解剖の記録」
「左の腎臓10×6×4センチで130グラム。肺の開けたところの絵」
「直接的な死因は結核によるもの」

(木村真三さん)
「戒名も書かれていない、古ぼけた位牌だけが実家にあった。大伯父が生きた証として、どういう一生をここで迎えたのか、貴重な故人の記録。こういうことがあったということを(遺族)に開示するのは大切」

福島県で放射線被ばくを研究する木村さん。仙太郎さんのことを父親から知らされたのは28歳の時でした。

(木村真三さん)
「人に話すことは一切していなかった。きっかけ作ったのは福島の人たち。根は一緒で、ハンセン病の問題はもっともっと歴史があるつらい問題なので、そういったものに一つの道筋、光明がでればいい」

木村さんは、遺族と医師しか見ることができない解剖録を、写真とともに園で展示してほしいと願い出ました。

ハンセン病は、らい菌によっておこる慢性の感染症です。衛生環境が整った現代の日本では発病することはほぼなく、療養所の入所者は完治した人ばかり。そもそも遺伝する病気ではないにも関わらず、国の誤った隔離政策によって元患者や家族への偏見差別は、社会に根強く残っています。

(元患者遺族の女性(50代))
「姉がいるが、若い時に恋愛して。相手の両親からも喜ばれて婚約した。姉は包み隠さず父のことを話した。その途端に、手のひら返すように相手の両親が結婚してくれるなと」
「(姉は)もちろん(今の)旦那さんにも言っていない、子供にも言っていない」

こちらは、ハンセン病への理解を求めて実名で活動する元患者遺族の男性。

(元患者遺族 黄光男さん(67))
「隠し事って悪いことしていないのに罪悪感ある。逃亡者のように生きてきたって犯罪者でも何でもないのに、悪いことしているわけでも何でもないのに隠れて生きてるって、やっぱりつらい」

木村さんは、こうした現状を変えたいと考えています。

(木村真三さん)
「もしかしたら万に一つでも、自分も名乗り出ようと思える人がでればと思い公開した」

(長島愛生園歴史資料館 木下浩学芸員)
「愛生園には解剖録が残っています。ハンセン病の偏見差別をなくしていく助けになればと公開してほしいと」仙太郎さんの解剖録は去年の秋から一般公開され、これまでに約6000人が見学しました。

(高校生は…)
「病気にかかったことも差別されることも苦しいと思う。それでも最期まで生きてすごい」
「写真見て、言葉ではない伝わるものを感じ取れた」

徐々に広がる理解の輪。それはシンポジウムの開催へとつながりました。

(木村真三さん)
「入所者の収容桟橋。仙太郎が入る直前に桟橋ができている、桟橋を初期に通った一人なんだと思う」
「その収容桟橋が遺族としてのつながりという思いがある、とっても心に残っている」
「中尾さんもあそこ通って来られた、中尾さんのイメージでいいからそういう話も伺いたい」

当日は、愛生園で75年暮らす入所者自治会長の中尾伸治さんも参加します。

(長島愛生園入所者自治会 中尾伸治会長)
「虫明に来て船に乗って、収容桟橋まで来たら、僕だけがそこで降りる。そこで初めて区別された」

木村さんはシンポジウムを通じて、仙太郎さんが生きた証を感じてもらいたいと考えています。

(木村真三さん)
「我が事で自分を捉えてほしい。そのためには、自分がそこ(ハンセン病問題)に関わる必要がある」

シンポジウムは、6月3日午後1時から、長島愛生園で開かれます。