2023.07.19
山田方谷が弟子から受け取った書状を初公開 幕末の混乱した社会の様子も…【岡山】
幕末の備中松山藩の藩士で藩財政の立て直しなどに活躍した山田方谷が、2人の弟子から受け取った書状が高梁市で展示されています。
展示されているのは、いずれも備中松山藩士で山田方谷の弟子にあたる神戸秋山と大石隼雄が江戸時代末期に方谷に宛てた書状で、今回初めて公開されました。
このうち神戸秋山からの書状には、朝廷に反抗した長州藩を討ち取るため、将軍が兵を連れて京都や大阪に向かって出発する「御進発」などについて書かれ、当時の混乱した社会の様子を知ることができます。
また大石隼雄の書状には、鳥羽伏見の戦いや長州藩の動きなどについて記され、緊迫した情勢の中で得られた情報を細かく伝えていたことが分かります。
(高梁市教育委員会 上村和史主事)
「方谷が信頼されていたことが分かる。方谷にアドバイスを求めていたり、あわよくば城下にきて一緒に政治について議論を交わしてほしいという弟子の思いが分かる」
書状は8月31日まで高梁市山田方谷記念館で展示・公開されています。
展示されているのは、いずれも備中松山藩士で山田方谷の弟子にあたる神戸秋山と大石隼雄が江戸時代末期に方谷に宛てた書状で、今回初めて公開されました。
このうち神戸秋山からの書状には、朝廷に反抗した長州藩を討ち取るため、将軍が兵を連れて京都や大阪に向かって出発する「御進発」などについて書かれ、当時の混乱した社会の様子を知ることができます。
また大石隼雄の書状には、鳥羽伏見の戦いや長州藩の動きなどについて記され、緊迫した情勢の中で得られた情報を細かく伝えていたことが分かります。
(高梁市教育委員会 上村和史主事)
「方谷が信頼されていたことが分かる。方谷にアドバイスを求めていたり、あわよくば城下にきて一緒に政治について議論を交わしてほしいという弟子の思いが分かる」
書状は8月31日まで高梁市山田方谷記念館で展示・公開されています。