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2024.02.01

【記者現地取材】能登半島地震の深刻な爪痕、戸惑う被災者…進み始めた復旧には岡山・香川からの支援も

最大震度7を観測した能登半島地震の発生から2月1日で1カ月。FNN取材団として石川県で取材した中村記者が現地の状況を伝えます。

(中村香月記者)
「はい。私は1月20日から1週間、輪島市や七尾市など石川県内各地で取材しました。被災地では深刻な被災状況を目の当たりにしました」
能登半島地震取材報告01
視界に入るのは、割れた地面と倒壊した建物の数々。あの日から時は止まっていました。
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元日の石川県を襲った能登半島地震。
能登半島地震取材報告03
輪島市と志賀町で震度7を観測し、震源から約10キロ離れた珠洲市では推定で最大4.3メートルの津波が発生しました。
能登半島地震取材報告04
災害関連死を含め、これまでに240人が死亡、15人が安否不明となり、住宅の被害は約4万8000棟に上っています。
能登半島地震取材報告05(中村香月記者)
「地震の影響で深刻な液状化の被害に見舞われた石川県内灘町です。発生から3週間あまりたった今も、道路は大きく傾き、震災の爪痕は残ったままです」
能登半島地震取材報告06
大きく盛り上がった道路に傾いた電柱。
能登半島地震取材報告07
ブロック塀は、目を疑う角度で道路に飛び出しています。地震の影響で住民の生活は一変しました。
能登半島地震取材報告08
(内灘町の被災者は…)
「どうにもできない。一部ならいいけど全体的に…。(日常は)変わった。すごく変わった。見た目がこうやし、どうしていいか分からない」
能登半島地震取材報告09
学校などに開設された避難所には県全域で約1万3000人が身を寄せていますが…。

(中村香月記者)
「輪島市の避難所にあるこちらの水道、蛇口をひねっても両方とも水が出ません」

ライフラインは広い範囲で寸断され、水道は合わせて約4万戸が断水。全域で復旧するのは4月以降の見通しです。
能登半島地震取材報告11
さらに、日本海に面した地域ならではの問題が。

(中村香月記者)
「輪島市三井町のこちらの道路では、雪が降る中、重機によって、道を復旧する作業が行われています」
能登半島地震取材報告12
北陸特有の水気を含んだ重い雪は、復旧作業の妨げになるほか、道路の凍結は物資の輸送などに影響します。
能登半島地震取材報告13
また、積雪が増えることで建物の倒壊が進む恐れも。
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(輪島市の被災者は…)
「(建物が)余震でどんどん近づいてきている。雪で重みが増すと危ないと感じていたので、何とか積雪なしに復興のスケジュールを組めるといい」
能登半島地震取材報告15
各地に地震の爪痕が残る一方で、復旧への道筋も少しずつ見えてきました。
能登半島地震取材報告16
(中村香月記者)
「(1月22日)午前7時20分頃のJR七尾駅のホームです。金沢行きの路線は3週間ぶりの再開ということで、朝から多くの利用客が見られます」
能登半島地震取材報告17
JR西日本は、七尾線の七尾駅から南西に25キロの羽咋駅までの運転を1月22日に再開。七尾駅から金沢駅までの行き来が可能になりました。
能登半島地震取材報告18
(利用客は…)
「(電車の運休で)ずっと友達に会えなかった分、今は本当に楽しみしかない」
「電車が1本増えるだけでも全然生活が変わるのでうれしい」
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(JR西日本金沢支社七尾鉄道部 江下喜久夫部長)
「レールを1本につなげることが、石川県にとって、鉄道にとって1つの復興と考えているので、しばらくお待ちいただきたい」
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(長尾龍希キャスター)
「深刻な被害の一方で、少しずつ復旧も進んでいるようですね」

(中村香月記者)
「現在は断水が解消された場所も増えてきていて、一歩一歩確実に、復旧への道のりを歩み始めているように感じます。そうした背景には岡山・香川からの多くの支援がありました」

(中村香月記者)
「穴水町の病院の前のこちらのスペースは、現在給水所となっていて、倉敷市の職員が給水車とともに活動しています」
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倉敷市は、1月4日から継続的に支援活動を行っています。穴水町には給水車1台と職員2人が派遣されていて、金沢市の浄水場でくんだ水を、被災者や支援に訪れた人に届けていました。
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(水を受け取った人は…)
「感染症がはやっているので、手洗いなどで使うので、水がないと生活できない」
「水って日常的にこんなにたくさん要るんだなって。今まで人ごとだったという思いがあるので、本当に助けられている」
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2018年の西日本豪雨で多くの支援を受けた倉敷市にとって、今回の支援は恩返しです。

(倉敷市水道局水道総務課 渡部祐士主幹)
「倉敷の場合は真備の災害もあった。その時に石川の人たちに助けてもらっているので、その恩返しの気持ちもある。1日も早く水道管が復旧し、皆さんの生活が通常に戻れば」
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一方で、七尾市の災害ごみの仮置き場には、1974年に親善都市となった丸亀市の消防職員の姿がありました。
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(丸亀市消防本部総務課 貞廣博之課長)
「災害には大量のごみが付き物になってくる。思い出のある物ばかりだと思うので、このような光景を見るのは心苦しい」
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休日は200メートル近くの車の列ができるというこの場所。交通整理を担当した職員は、様々な災害を想定した対策の重要性を強く訴えます。
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(丸亀市消防本部総務課 貞廣博之課長)
「災害は防ぐことはできないが、災害が発生した時にいかに被害を最小限にできるかというのは行政にかかっていると思うので、丸亀市においても何ができるかを考え、備えていかなければと感じた」

(中村香月記者)
「大地震が発生する度に、被害やその土地のリスクがクローズアップされますが、日本ではいつ、どこにいても当事者となる可能性があります。今回の地震を自分のこととして捉え、自治体は対策を進めるとともに私たち一人一人も日頃の備えについて考える必要があると強く感じました」

中村記者の報告でした。