2024.07.03
高松空襲から79年 高齢化進む遺族らが小学生とともに追悼式に参列 平和の尊さを語り継ぐ【香川】
1300人以上が犠牲となった高松空襲から2024年7月4日で79年です。高松市では遺族らが参列して追悼式が行われました。
高松市中野町にある空襲の慰霊堂・六角堂です。
(黙とう)
慰霊碑の前で行われた追悼式には、犠牲者の遺族や近くの小学生など約150人が参列し、高松市の大西市長が「二度と惨禍を繰り返すことがないよう、平和の尊さを次の世代に語り継ぐ」とあいさつしました。
1945年7月4日未明。アメリカ軍によって高松市に落とされた焼夷弾は市街地の約8割を焼き、1359人の命を奪いました。
あれから79年。遺族らの高齢化が進み、式に参列する人の数は年々少なくなっていますが、平和を祈る思いは変わりません。
(六角堂保存会 水谷千種会長)
「参列する人が減ってきたのが現実だが、形を変えながらでも子供とともに学んで、みんなで勉強して平和な高松を築いていきたい」
参列した人たちは、献花台に花を手向け、慰霊堂は鎮魂の祈りに包まれました。
高松市中野町にある空襲の慰霊堂・六角堂です。
(黙とう)
慰霊碑の前で行われた追悼式には、犠牲者の遺族や近くの小学生など約150人が参列し、高松市の大西市長が「二度と惨禍を繰り返すことがないよう、平和の尊さを次の世代に語り継ぐ」とあいさつしました。
1945年7月4日未明。アメリカ軍によって高松市に落とされた焼夷弾は市街地の約8割を焼き、1359人の命を奪いました。
あれから79年。遺族らの高齢化が進み、式に参列する人の数は年々少なくなっていますが、平和を祈る思いは変わりません。
(六角堂保存会 水谷千種会長)
「参列する人が減ってきたのが現実だが、形を変えながらでも子供とともに学んで、みんなで勉強して平和な高松を築いていきたい」
参列した人たちは、献花台に花を手向け、慰霊堂は鎮魂の祈りに包まれました。