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萩原一族のルーツをたどりたい!

2024.03.02

岡山県内の萩原一族のルーツについて調べています!

OHKアナウンサーの萩原渉です。

放送等では「はぎわらわたる」と言っていますが、実は、本当は「はぎはらわたる」です。

四半世紀前にアナウンサーになった際に「言いやすいから」という軽い気持ちで変えたのがきっかけですが、日常生活でも「はぎわら」を使うようになり、妻も子も「はぎわら」です。しかし。理由は後述しますが、今になって少し後悔しています・・・。

 

私は岡山市中区江並の出身です。この江並や周辺の地域には萩原姓が多く、私が小学生の頃は大体どの学年にも3~4人の「はぎはらくん」や「はぎはらさん」がいました。おそらくご先祖様を同じくする一族です。



萩原沖新田

 

江並を含む岡山市中区・東区南部の旭川と吉井川に挟まれた地域は、江戸時代の元禄期に岡山藩の命による干拓で生まれた新しい土地で「沖新田」と呼ばれていました。沖新田には近隣地域の住民が入植。萩原家のご先祖様は現在の備前市日生町寒河(そうご)地区から移住したと伝えられています。寒河地区にも、現在でも数軒の萩原姓のお宅があります。

 

かつて海の底だった土地で農作物を育てながら生活していく苦労は想像を絶するものがありますが、そのような厳しい環境の中で萩原一族はこの地に根を張り、300年間連綿と命をつなぎ、子孫を増やしてきました。

貧しさに耐えながら枯れた土地に鍬を入れ続け、「新田魂」と言われるパイオニア精神で、入植から150年後にはかなり広大な農地を持つ裕福な家もあったようです。

 

こうした歴史は語り継いでいかないと子孫に伝えていくことができません。そして、私の2世代か3世代前くらいまではまだ「江戸時代」が身近にあり口伝えで物語が受け継がれていたのだろうと思いますが、ここ20年ほどの急激な社会環境の変化や家族形態の多様化によって、そういった口伝えが途絶えてしまうのではないかという強い危機感を持っています。

 

子どもの頃から歴史に興味があり、「自分のご先祖様はどんな人なんだろう?」という疑問を持ち続けてきた私はこれまで戸籍や図書館などが所蔵する関連史料をコツコツ調べてきましたが、この度、昔からの言い伝えをご存知の方にお話を聞ける今のうちに調査をしておかねば!と思い立ち、江並地区とその周辺の、今ではあまり交流のない萩原姓の皆さんに、ルーツについてお尋ねするアンケートをお送りすることにしました。参考までに私から6代さかのぼった我が家の家系図を添えて。


萩原03024

 

「なんだ?急に怪しい封筒が送られてきた」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、一族の歴史に関する言い伝えや家系図などが残っていたらぜひ教えていただきたいと思います。アンケート結果を基にさらに調査を進めて文書にまとめ、一族の子孫に遺しておきたいと考えています。


萩原03023

 

私は「はぎはら」という名前の読みを簡単に変えてしまいました。大したことではないと考える方も多いかもしれませんが、何百年間も祖先から受け継いできた読み方を自分の代で変えてしまったと考えると申し訳ない気持ちになります。一族の歴史をまとめて遺すのはその罪滅ぼし・・・というのは大げさ過ぎるでしょうか。