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就実学園・西井泰彦理事長【前編】

2024.05.06

就実学園・西井泰彦理事長『2000年 私立大学再生へ情報支援!』




今回は就実学園 西井泰彦理事長です。
今年、創立120周年を迎える就実学園、新たな展開が期待されています。

(篠田吉央アナウンサー)
「それでは転機となった年を教えてください。」

(就実学園 西井泰彦理事長)
「2000年、私立大学の再生へ情報支援 ということです」

 

2000年…“薬学部構想”をバックアップ 学園再生への第一歩

コンピューターの2000年問題で明けた、この年。
エリア内では3丁目劇場がオープン。岡山から3人の大臣が誕生しました。

(就実学園 西井泰彦理事長)
「私は当時政府機関にいました。第2次ベビーブーム、1992年がピークでした。その後、18歳人口が減少して全国の私立大学あるいは短期大学ではどんどん定員割れが増えてきました。こういう厳しい時代をどう生き残るかということの経営相談事業を本格的に始めました。そこで、就実大学の経営相談を受けることになりました。

 当時、女子大の文学部でしたけれども、非常に厳しい定員割に悩まされていた。どうしたらこの学校を立て直せるかと相談を受けました。当時は女性が社会に出ても就職が厳しい。それから男女対等ではない状態の中で、安定的な職業というのは薬剤師だったんです。そのころは私学(の薬学部)は29学部ありましたけれども、新しい学部は認可しないという仕組みになっていました。

しかし、当時平成14年頃、小泉内閣が成立して規制緩和ということで、特定の分野の規制は排除すべきだという動きが出ましたので、この学校(就実学園)の薬学部構想をバックアップ、応援いたしました。そして、初めて突破したのが、この学校ともう一つ岡山にある大学です。2030倍の志願者を集めるという状態となりました。その人気もありまして文学部も含めて、人気を回復してきたというのが、この学園の再生への第一歩だったと思います。」

“私立学校を支えること”が自分の使命

(篠田吉央アナウンサー)
「その大学に将来、理事長として就任されるというのは、当時想像できましたか。」

(就実学園 西井泰彦理事長)
私立学校に入って、それを私立学校を支えるというのが自分の使命であった。その支える仕事は、厳しいところをどう立て直すかってことが一番大事だというのが、自分の仕事というか天命だと思っております。

(篠田吉央アナウンサー)
「支援を通して、相談に乗っている中で、いつの間にかこう繋がって、そして今が生まれてきたんですね。」